概要

尾張津島天王祭(おわりつしまてんのうまつり)は、愛知県津島市の津島神社の祭礼として営まれる、車楽(だんじり)舟行事を中心とした夏まつりである。津島神社の歴史とともに歩んできた由緒ある祭礼で、その始まりは600年近く前とも言われ、全国の数ある夏まつりの中でも最も華麗なものと称えられてきた。天王祭の「天王」とは、津島神社の祭神である牛頭天王(ごずてんのう・須佐之男命と習合した疫病除けの神)に由来し、夏の疫病退散を祈願する祇園信仰の流れを汲む祭りである。

現在は毎年7月の第4土曜日の夜に宵祭(よいまつり)、翌日曜日の朝に朝祭(あさまつり)が行われる。夜の天王川に約500個の提灯を灯した5艘のまきわら船が浮かぶ宵祭の幻想的な光景と、翌朝に市江車を先頭とする6艘の車楽舟が繰り広げる勇壮な神事が、この祭りの二つの頂点をなす。1980年(昭和55年)に国の重要無形民俗文化財に指定され、2016年にはユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」を構成する全国33行事の一つとして登録された、日本を代表する川まつりである。

歴史・由来

天王祭の起源については諸説あり、津島神社は正確な始まりを一つに定めていないが、いずれの説も600年近い歴史を伝えている。有力な一説は、南北朝時代に後醍醐天皇の曾孫にあたる良王親王が津島に逃れてきた際、南朝方の良王を守る津島の「四家七苗字」の武士たちが、北朝方の武士である佐屋村の台尻大隈守を船遊びに事寄せて討ち取ったことから、これを記念してまつりを行うようになったというものである。四家七苗字とは、大橋・岡本・恒川・山川の四家と、堀田・平野・服部・鈴木・真野・光賀・河村の七苗字からなる津島の土豪・名主たちを指す。

もう一つの説は、須佐之男命が西の海より市江島(現在の愛西市東保町)に着船した折、草を刈る子供たちが遊び戯れている姿をご覧になって児の舞や津島笛の譜を作られ、後に疫病が流行したため神を慰めるために祭りを行ったというものである。さらに、京都の神泉苑へ御霊を鎮め送った「御葭流し(みよしながし)」の祭事が地方へ伝播したとする説もある。御葭流しとは、川辺に群生する葦に人間の罪や汚れを託し、あるいは葦の管に封じ込めて流すもので、夏の酷暑を無事に過ごすため神葭を依代とする「神迎え」のまつりであった。これらの伝承は、この祭りが疫病除けと水辺の信仰に深く根ざしていることを物語っている。

戦国時代には、津島を経済的な基盤の一つとした織田信長もこの祭を見たと伝えられており、津島の繁栄とともに祭礼が発展してきたことをうかがわせる。江戸時代には尾張藩が祭を手厚く保護し、朝祭の中心となる市江車には53石余の土地を与え、その年貢を市江車の費用に充てさせた。この土地は現在も「車田(くるまだ)」という地名として残り、市江車車田址の石碑が建てられている。

天王祭はかつて旧暦6月14日・15日に行われていたが、1963年(昭和38年)より7月第4土曜日を宵祭、翌日曜日を朝祭とする現在の日程に改められた。長い歴史の中で担い手や日程は変化しながらも、車楽舟という独特の祭礼形態と、それを支える地域の人々の営みは受け継がれ、国指定・ユネスコ登録という形で世界に認められる文化遺産となった。

見どころ

幻想的な宵祭のまきわら船 宵祭の主役は、津島五か村(堤下・米之座・今市場・筏場・下構)から出される5艘のまきわら船である。屋台の上に半円・山型となるよう365個の提灯を飾り、これは1年の日数を表している。中央高くには真柱を立て、1年の月数を表す12個の提灯を掲げる。提灯に明かりが灯されると、津島笛を奏でながら車河戸からゆっくりと姿を現し、川面に灯を映しながら天王川を漕ぎ渡る様は、この祭りを象徴する幻想的な光景である。

勇壮な朝祭と市江車の鉾持ち 翌朝の朝祭は、夜のうちに提灯を外し、きらびやかな幕で飾り替えた船が登場する神事の要である。旧市江村(現在の愛西市東保町)の市江車を先頭に、能の出し物を型どった「置物」を載せた計6艘の車楽舟が古楽を奏でながら丸池へ漕ぎ出す。最大の見どころは、市江車から下帯姿の10人の鉾持ちが次々と水中に飛び込み、布鉾を担いだまま古式泳法でお旅所まで一直線に泳ぐ場面で、祭りの伝統を受け継ぐ若者の力強さが凝縮された勇壮な神事である。

格式を伝える市江車の特徴 朝祭の主役である市江車は、津島五車と比べても古式ゆかしい姿を残すとされる。五車より大きく、上部に載る置物(能人形)は神籤によって毎年選ばれる。徳川家康から拝領したと伝わる小袖幕を積み、車楽舟の前面には葵の紋が見られるなど、江戸期の藩による保護の名残が随所に息づいている。これらの特徴は、単なる華やかさにとどまらず、祭りが積み重ねてきた歴史の重みを今に伝えている。

神迎えと神輿還御の神事 まきわら船や車楽舟の華やかさに目を奪われがちだが、天王祭の核心は津島神社の神を迎え送る神事にある。宵祭では乗船者がお旅所で神輿に拝礼し、朝祭では鉾持ちが泳ぎ着いた後に津島神社まで走って布鉾を奉納する。続いて各車楽舟から稚児がお旅所へ渡り、神輿還御祭を経て本殿まで練り歩き、最後に稚児の神前奏楽で幕を閉じる。華麗な船行事の背後にある、こうした厳粛な祭祀の流れにこそ祭りの本義がある。

開催情報・アクセス

会場は愛知県津島市の天王川公園(丸池周辺)で、津島神社と天王川を舞台に行われる。開催時期は毎年7月の第4土曜日が宵祭、翌日曜日が朝祭となっている。かつては旧暦6月14日・15日に行われていたが、1963年(昭和38年)に現在の日程へ改められた。

宵祭は日没後、5艘のまきわら船に提灯が灯される頃から始まり、朝祭は日曜日の午前8時半頃に津島神社神職らの出迎えの赤舟によって幕を開ける。年によって時刻や進行、有料観覧席の有無などが変わるため、最新の開催日程・時間・実施可否は津島市や津島神社の公式発表で必ず確認してほしい。

公共交通機関では名鉄津島線の津島駅が最寄りで、駅から天王川公園までは徒歩圏内にある。祭り当日の周辺は大変混雑するため、公共交通機関の利用が推奨される。宵祭・朝祭ともに川と船を用いる祭りの性質上、天候によって進行が影響を受ける場合がある点にも留意したい。

なお、朝祭の主役である市江車を担うのは隣接する愛西市であり、7月第4土曜日の午後には愛西市西保町の星大明社から佐屋町にかけて、旧東海道脇往還の佐屋街道を通る児行列も行われる。祭りが津島市と愛西市の両地域によって支えられていることも、この祭りの特色である。

周辺情報

津島神社は全国に約3,000社あるとされる天王社・津島神社の総本社とされ、牛頭天王・須佐之男命を祀る古社である。境内には楼門や本殿など歴史的な建造物が残り、祭りの時期以外にも参拝に訪れる人が多い。祭りの舞台となる天王川公園は、かつての天王川の名残をとどめる池を中心とした公園で、初夏には藤の名所としても知られ、藤まつりの時期には多くの人でにぎわう。

津島の街には、津島神社の門前町・湊町として栄えた歴史を伝える古い町並みが残っている。かつて津島は木曽川水系の水運と信仰の拠点として繁栄し、その富が天王祭の華やかさを支えた。まちなかには往時の商家や社寺が点在し、祭りの背景にある地域の歴史をたどりながら歩くことができる。

朝祭を担う市江車ゆかりの地である愛西市には、市江車車田址の石碑や、旧佐屋街道の宿場町・佐屋宿の名残が残る。名古屋市中心部からも鉄道で比較的短時間でアクセスできる立地にあり、尾張地方の水辺の歴史と信仰を体感する旅の拠点として周辺一帯を巡るのもよいだろう。

関連情報

  • 正式名称:尾張津島天王祭(津島神社の祭礼・車楽舟行事)
  • 開催地:愛知県津島市 天王川公園・津島神社一帯(朝祭の市江車は愛西市が担う)
  • 開催時期:毎年7月第4土曜日(宵祭)・翌日曜日(朝祭)※かつては旧暦6月14・15日
  • 文化財指定:1980年(昭和55年)国指定重要無形民俗文化財/2016年ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」33件の一つ
  • 由来:600年近く前とされ諸説あり(良王親王伝説・須佐之男命市江島着船伝説・御葭流し起源説)
  • 主な行事:宵祭のまきわら船(提灯365個+12個)・朝祭の車楽舟6艘・市江車の鉾持ち10人による飛び込みと古式泳法
  • 最寄り:名鉄津島線 津島駅(天王川公園まで徒歩圏)

出典・関連リンク

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