概要

葵祭は、京都市の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭であり、毎年5月15日に行われる。平安時代中期の貴族社会では、単に「祭り」と言えば葵祭を指すほど隆盛を極めた京都最古級の祭祀の一つである。祇園祭(7月)、時代祭(10月)と並び京都三大祭に数えられ、その成立年代は約1500年前に遡るとされる。

祭名の「葵」は、行列の参加者や牛車、牛馬に至るまで双葉葵(フタバアオイ)の葉を飾る慣例に由来する。この双葉葵は賀茂両社の神紋であり、徳川家の家紋「三つ葉葵」も元をたどれば賀茂の葵にゆかりがあるとされる。行列は平安装束をまとった約500名の人物、馬36頭、牛4頭、牛車2基、輿1台で構成され、京都御所建礼門前から下鴨神社、上賀茂神社へと約8キロメートルを練り歩く。

葵祭は、宮中での儀式、京都御所から神社へ向かう行列である「路頭の儀」、神社で行われる「社頭の儀」の三つから成り立つ。現在は路頭の儀と社頭の儀が一般に公開されており、平安貴族の装束や調度を忠実に再現した王朝絵巻さながらの光景が見られる。この祭りは、日本の伝統的な美意識を体感できる貴重な機会として国内外から多くの観覧者が訪れる。

歴史・由来

葵祭の起源は、平安京遷都以前の6世紀、第29代欽明天皇の時代にまで遡る。『賀茂旧記』によれば、当時は風雨が激しく五穀が実らなかったため、勅命により卜部伊吉若日子に占わせたところ、賀茂大神の祟りであると判明した。そこで旧暦4月の中酉の日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨は収まり五穀は豊かに実り国民も安泰になったという言い伝えがある。この故事が葵祭の始まりであり、五穀豊穣を祈る祭祀として位置づけられている。

平安時代に入ると、弘仁10年(819年)には朝廷の律令制度において最も重要な恒例祭祀(中祀)に準じて行われる国家的行事となった。この時代、賀茂社は国全体を守る神社として崇められ、天皇が国の平和を願って使者である勅使を派遣する「勅祭」として確立した。葵祭は、石清水八幡宮の石清水祭、奈良・春日大社の春日祭と並び「日本三大勅祭」の一つに数えられるようになる。平安中期の貴族の間では、祭りといえば葵祭を指すほど社会的な注目を集めた。

しかし、葵祭は幾度もの中断を経験している。応仁の乱(1467年〜1477年)の後、約200年間にわたり行列は姿を消した。再興されたのは元禄年間(1688〜1704年)で、朝廷や徳川将軍家の援助を受けて復興したと伝えられる。この再興の際に、牛車や勅使の衣冠、牛馬に至るまで双葉葵の葉で飾るようになったことから「葵祭」の名称が定着したとされる。

明治時代に入ると、明治4年(1871年)から明治16年(1883年)までの間、東京遷都の影響で再び行列は中止となった。その後、政府の京都活性化策として明治17年(1884年)に復活したが、第二次世界大戦中の昭和18年(1943年)から昭和27年(1952年)まで再び中断され、社頭での神事のみが続けられた。戦後、行列が再開されたのは昭和28年(1953年)からであり、昭和31年(1956年)からは斎王代が登場するようになった。王朝の伝統は中断や中止を経ながらも忠実に守り継がれ、現在に至っている。

見どころ

路頭の儀の全体像 路頭の儀は、毎年5月15日午前10時半に京都御所建礼門前を出発する王朝行列である。行列は勅使を中心とする「本列」と、その後ろに続く「斎王代列」の2つの列で構成され、総勢約500名が平安装束をまとって進む。この行列が約8キロメートルの道のりを約3時間かけて下鴨神社から上賀茂神社へと向かう光景は、まるで平安時代にタイムスリップしたかのような錯覚を与える。

近衛使代(勅使)の騎馬 行列の最高位を担うのが、天皇の使いである勅使の役割を務める「近衛使代」である。現代の路頭の儀では実際の勅使は参列しないため、代わりに近衛使代が白い斎服に藤の花飾りをつけ、立派な飾りに包まれた馬に騎乗して進む。その姿は平安時代の宮廷儀式を今に伝えるもので、観覧者の視線を集める。

斎王代の十二単と腰輿 斎王代は、かつて賀茂社に巫女として奉仕した未婚の皇族女性「斎王」の代わりを務める現代のヒロインである。毎年京都ゆかりの未婚女性から選ばれ、美しい十二単を身にまとい、「腰輿(およよ)」と呼ばれる輿に乗って優雅に都大路を進む。葵祭の時期が近づくと「今年の斎王代は誰?」と京都中で話題になるほどの注目を集める存在である。

風流傘と牛車の優雅さ 行列を彩るのが、大きな傘の上に美しい花を飾る「風流傘」と、屋根の軒から藤の花を垂らす「牛車」である。風流傘は平安時代の風流を取り入れた装飾で、行列に華やかさを添える。牛車は2基が使用され、内部には高貴な人物が乗っていると想定され、現代では再現された調度品が歴史的価値を伝えている。

社頭の儀と東遊の舞 行列が下鴨神社と上賀茂神社に到着すると、それぞれの社頭で「社頭の儀」が執り行われる。勅使が御祭文を奏上し御幣物を奉納した後、平安調を偲ばせる雅やかな雰囲気の中で、舞人による「東遊(あずまあそび)」の舞が奉納される。この舞は古代からの伝統を今に伝えるもので、神社の境内に厳かな空気を漂わせる。

流鏑馬神事と賀茂競馬 5月3日には下鴨神社の糺の森で「流鏑馬神事」が行われ、疾走する馬上から100メートル間隔で設置された3ヶ所の的を矢で射抜く。矢が命中した的は縁起の良い「当たり的」として一般に授与される。また5月5日には上賀茂神社で「賀茂競馬」が行われ、赤い装束の左方と黒い装束の右方の騎手が馬を競わせ、左方が勝った年は豊作になると伝えられている。

開催情報・アクセス

  1. 開催日時: 毎年5月15日(雨天の場合は翌16日に順延)。路頭の儀は午前10時30分に京都御所建礼門前を出発。最新の開催日程・実施可否は京都観光Navi公式サイトで確認すること。
  2. 会場とルート: 京都御所(出発点)→下鴨神社(到着・社頭の儀)→上賀茂神社(到着・社頭の儀)。行列の全長は約1キロメートル、総距離約8キロメートル。
  3. アクセス(京都御所): 地下鉄烏丸線「丸太町駅」または「今出川駅」から徒歩約5〜10分。市バス「烏丸今出川」または「烏丸丸太町」下車徒歩約5分。
  4. アクセス(下鴨神社): 市バス「下鴨神社前」下車すぐ、または京都バス「下鴨神社前」下車。叡山電鉄「出町柳駅」から徒歩約10分。
  5. 有料観覧席: 京都御苑内、下鴨神社参道、上賀茂神社参道の3か所に設置。料金は年により変動するため、詳細は京都市観光協会の発表を参照。
  6. 無料観覧スポット: 加茂街道沿い(賀茂川堤防上)からは、東山連峰や賀茂川の清流を背景に行列を観覧可能。午前中は京都御苑周辺、午後は加茂街道が推奨される。
  7. 注意事項: 当日は交通規制が実施され、行列ルート周辺は歩行者天国となる。観覧の際は暑さ対策と混雑に留意すること。雨天順延の判断は当日朝に発表される。

周辺情報

京都御所は、平安時代から明治時代まで天皇の住まいとして使用された歴史的建造物であり、現在は一般公開されている。路頭の儀の出発点である建礼門周辺は、広大な緑地が広がり、行列を背景にした記念撮影スポットとしても人気がある。御所内には「御車返しの桜」など名所もあり、観覧の前後に散策することを推奨する。

下鴨神社は、世界遺産「古都京都の文化財」の一つに登録されており、境内の糺の森は原生林が残る貴重な自然環境である。糺の森には約600種の植物が生育し、都会の中にいながら太古の自然を体感できる。5月3日の流鏑馬神事はこの森の中で行われ、木漏れ日の中を馬が疾走する幻想的な光景が見られる。

上賀茂神社も世界遺産に登録されており、境内には国宝の本殿や重要文化財の社殿が立ち並ぶ。特に立砂(たてずな)は、神山を象徴する盛り砂として有名で、神社の由緒を伝える重要な要素である。葵祭の時期には境内で「賀茂競馬」や「社頭の儀」が行われ、祭りの熱気と神社の静謐さが共存する独特の空間を演出する。

関連情報

  1. 京都三大祭: 葵祭(5月)、祇園祭(7月)、時代祭(10月)の総称。この中で葵祭が最も古い起源を持つ。
  2. 日本三大勅祭: 葵祭(賀茂祭)、石清水祭(京都・石清水八幡宮)、春日祭(奈良・春日大社)の三つ。勅祭とは天皇が勅使を派遣する祭りを指す。
  3. 源氏物語との関連: 紫式部の『源氏物語』「葵」の巻では、葵祭の見物場面が描かれ、光源氏と六条御息所の従者同士の乱闘事件が起きる。当時から葵祭が貴族社会で重要な行事であったことを物語っている。
  4. 双葉葵(フタバアオイ): ウマノスズクサ科の植物で、賀茂両社の神紋。毎年両神社から御所に納められ、行列の装飾に使用される。徳川家の三つ葉葵の意匠もこの植物に由来する。
  5. 斎王代の選出: 1956年から始まった制度で、毎年京都ゆかりの未婚女性から選ばれる。選出されると5月4日の御禊神事で身を清め、15日の本行に臨む。
  6. 過去の中断期間: 応仁の乱後(約200年間)、明治期(1871年〜1883年:12年間)、第二次大戦中(1943年〜1952年:9年間)の三度の中断を経て現在に至る。

出典・関連リンク

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